安全って、いったい何でしょう?

あなたは、どんなふうに「安全」という言葉を使っていますか?

近年、さまざまな天災、人災、さらには日常生活。そして各種野外活動においても、「安全」という言葉が飛び交います。

様々な場面で「安全」というものに対する関心が高くなっているということだと思います。

いろいろな場面でその「安全」 という言葉を聞いていると、「安全か?危険か?」というような二者択一のような使われ方も多く、まるで「正義」や「真実」と同じように、まるで絶対不変の 概念のように(本当に不変かどうかはさておき)使われていることも少なくありません。

果たして本当にそうなのでしょうか?

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そもそも安全というのは、危険に対する防衛としてその概念が存在するわけで、つまり危険が存在するからこそ安全が存在するということです

そこにある生命を、脅かす状況が降りかかってくる。
これが危険です。

そこで、その生命は自身を守るための防衛行動をとります。
これが安全の確保です。

原初的な安全とはこのようなものだと思います。

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現在、認識されている「安全」というものは、その意味をもっと拡大して使われています。

生命の危機は当然なこととして、身体的損傷、物質的損傷、あるいは精神的損耗など多種多様なものから自身を守るべく、その防衛行動が発動されます。

「安全」の意味の拡大は、つまり「守るものの拡大」とも考えられます。この守るものは個人の考えにより大きく異なるので、「安全」の意味も個人個人によって大きく異なってくるのです。

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ちなみに文科省のサイトでは、安全の定義について、このように書かれています。
安全とは、人とその共同体への損傷、ならびに人、組織、公共の所有物に損害がないと客観的に判断されることである。ここでいう所有物には無形のものも含む。」

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ここからは、私の「野外活動における安全」というものの考え方となります。

取り組みやすさや分かりやすさから、僕は次のように考えています。

安全とは、当事者(関係者)が損害を受けない状態のことで、
当事者が受諾できる危険(損害など)の程度により変化するもの

安全という一言で表されてはいますが、日々使われるさまざまな「安全」というものは、対象や状況によってどんどん変わっていくものとして扱われています。変わらぬ一概念のようで、じつは「正義」や「常識」と同じように、あるいは、それら以上に、相対的、抽象的なものです。

安全は絶対不変の基準ではありませんし、絶対的な安全というものも存在しえません。
もしかしたら、一般的、最大公約数的な「なんとなく安全」という認識はあるのかなとは思いますが、やはり、個人個人でイメージする安全というものには差異があり、万人に当てはまる絶対的な安全基準というものはなかなかできないものと思います。

野外活動を行うみなさんが、それぞれの安全について考えて行動できること。

野外における行動を抑制しろということではありません。
活動に見合った準備をして、全力で楽しもうということです。

家に帰った時に「ただいまっ!」と、元気に言えることが、
そと遊びにおける安全の
最高の結果です。