偏見の正常化

通常の範囲から少し外れた、あるいは逸脱した異常事態を「たぶん大丈夫」「このくらいなら平気」「大丈夫の範疇だ」などと、認識し平常心を保とうとする働きです。

日常の中の変化や、新しい刺激や状況に対し、心の平静を保ち、パニックなどを防ぐ、あるいは、心理的な過剰反応を防ぎ、精神が疲弊しないようにするための正常な反応であります。

別にこれが悪ものというわけではありません。

しかし、この働きが過度に働き過ぎると、異常事態をキチンと認識することができず、被害や損害を拡大してしまうことがあります。

目の前で交通死傷事故が起こってそれを目撃したとします。

正常性バイアスが働かなければ、「交通事故が怖いから車を運転しない」「車を運転するだけで神経がすり減る気がする」などのネガティブな思考に陥り、日常的な行動に支障が出てしまいます。

逆に全くの他人事として認識し客観的な根拠もないまま「交通事故は特殊な状況で、私は交通事故に遭うわけがないから大丈夫」という思考は正常性バイアスでありますが、「完全に関係ない」と思えてしまうようなら正常性バイアスの過剰動作といえるでしょう。(昨今のSNSでの事故現場の写真投稿やコメント投稿は非現実的なものが増えているように感じるのは私だけでしょうか?もしくはSNS的バイアスというものがあるのかもしれません)

理想論ではありますが、交通事故は危ない→自分はそれに対しこのような準備をしている(客観的分析と実際の運用)→だから遭遇の確率は低く日常的な活動において支障はないはずだ→通常通り(あるいはそれに準じる)活動を行なえる。
という形で思考が進むとそれなりに健全な結果に行くのかなと思います。

たとえば、ダイビングであれば、「ダイビングコンピュータが止まらない(ロックしない)から大丈夫」「エア切れしても周りの人にもらえるから大丈夫」とか、悪天候でも「みんなが行っているから大丈夫」など、都合のよい解釈のバックボーンとして不適切に働く可能性があります。

あるいは、「オクトパスによるガスシェア」とか「エアが切れてから浮上」みたいなことが常態化していると、「これらは危険行動ではない」という学習をしてしまう可能性があります。(それまでの学習の問題でもありますが)

これは異常事態である「エア切れ」や「海況不良」を正当化するための「作為的な誤認識」であるともいえるでしょう。

個人的には、結果的に無事に戻れたとしても、上記状況などは「事故」と認識するわけですが、実際に被害が出ないとスルーされることがほとんどではないでしょうか?個人的にはたとえマイナスの結果に結びつかなかった場合でも同じ状況で結果が違うだけの「事故的状況」と呼んでいます。
このような事態は当然あってはいけないことなので、遭遇しないよう様々な方策で一線を超えないようにしています。これ以外でも、(負の作用の可能性のある)正常性バイアスに踊らされないよう、せめてもの自戒を込め、何か不安な事態(いわゆるヒヤリハット)があれば「事故的状況」して考えるようにしています。

「結果として無事だった」
「予定通り無事に終えた」

は、見かけの結果が同じでも、じつはまったく違うということを理解しておく必要があります。