救助というカテゴリは、当サイトの内容から少々外れる部分だと思うのですが、数年前の情報でありながら、なぜかここ最近SNS上で見かけることが多かったので、ちょっと私感を・・・。

引用--------------

 北海道積丹町の積丹岳で2009年、札幌市の男性が遭難し、道警の救助中にそりごと滑落して死亡した事故をめぐり、両親が道に約8600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、札幌地裁は19日、道に約1200万円の支払いを命じた。

 判決理由で千葉和則裁判長は「救助隊員には山中での進行方向の選択に関し過失があった」と述べた。

  判決によると、札幌市豊平区の会社員、藤原隆一さん(当時38)は09年1月31日、スノーボードをしに積丹岳に入山して遭難。2月1日に道警の救助隊に 発見されたが、搬送用のそりを一時的にくくり付けた木が折れて滑落した。翌2日に見つかったが病院で死亡が確認された。

 道警の池田康則監察官室長は「主張が認められず残念。判決内容を検討し、対応を判断する」とのコメントを出した。〔共同〕

------------日経新聞WEBサイトより

こちらにも判例研究としてPDFがありました。
http://www.chukyo-u.ac.jp/educate/law/academic/hougaku/data/48/34_p099.pdf

------------中京大学WEBサイトより

なにしろ「裁判」という、一般の感覚的な判断とは一線を画す法の解釈が基準の世界なので、我々の考え方とは違う結論が出ることもありましょうが、やはり、事故発生後の救助活動というものに対して、救助者・救助者になる可能性のある者の腰が引けるような判決であることは間違いありません。わかる限りの情報において、裁判所の判断は個人的には受け入れがたいものと感じます。

本来、救助活動は、どんな状況においても、二次遭難の防止が最優先されます。
こと(上記状況も該当しますが)悪天候による事故においては、救助活動や周囲環境自体が、もはや事故的(事故にごく近い状況)であるということを忘れてはいけません。

極限状態に近い場所での救助活動は、救助者を事故発生の状況に送り込み、事故そのものを要救助者と共有させることだと認識するべきでしょう。

これが救助を要するような状況、事故を起こしてはいけない理由の一つです。

当然、救助者も自身にふりかかる(場合によっては生命の)危険を承知で、救助活動に参加している状況です。それは、たとえ職務だとしても、あるいは職務だからこそ、「命懸けでやれ!」と強制できるものではありません。それでも救助者が危険な状況の中、救助活動に向かうのは、「助けたい」という、救助者の強い意思があるからだと思います。
(裁判所は「山岳救助隊員として職務を行っている警察官が遭難者を発見した場合には, 適切に救助をしなければならない職務上の義務を負うというべきである」と述べている)

その意味では救助者のモチベーションこそが救助活動の源泉であるといってもよいでしょう。
そして残念ながら、上記判決はその救助者のモチベーションを大きく損なうものであります。

救助というものが「命を賭して、要救助者を無事連れ帰って来るのが当然」なのであれば、救助者の生命が、要救助者の生命より軽んじられているということに他なりません。


実際のところ、救助過程で過失と呼べるものがあったかどうか?なぜ賠償の判決が出てしまったのか?そもそも判決の正当性がどうなのか?そのあたり、事故の詳細についての考察は、また機会があればあらためて・・・。

この件について、僕が気になるのは、

悪天候を理由に救助活動を行なわなかった場合どうなっていたのか?です

裁判の中で考慮されたとも思えないのですが、たとえば悪天候を理由に救助活動が行われれず要救助者が死亡したと仮定して、それは救助者側の過失(判断ミス、救助義務の放棄)となりうるのでしょうか?

当時の天候は、吹雪、視界不良、強風。そして環境は冬山。十分に過酷な状況下での捜索、救助活動です。実際、要救助者と合流後、隊員複数名も一緒に滑落するという、二次的な事故も発生しています。この滑落により隊員も動けなくなっていれば不幸な結果に直結した完全な二次遭難です。

つまり「二次遭難防止のため、悪天候を理由に捜索救助活動をいったん中止する」選択肢も十分あり得た気象条件であったと考えられます。

「隊を出動させたのであれば、活動可能と判断したのだから、その結果に責任を持て」という意見もあるかもしれませんが、その状況下で二次遭難が発生した場合や救助の失敗という結果になった場合、救助者に身体的負担、心理的負担(過失の有無にかかわらず助けられなかったという事実だけでも重くのしかかる負担です)、のみならず社会的責任を負わせてはならないと思います。

本件について「もし悪天候を理由に救助活動を見合わせ要救助者が死亡していた場合は、救助隊に過失はなかった」と判断されるのであれば、(客観的に人的リソースや二次遭難の可能性なども含めたコストを考えた場合)「悪天候などの極限状況下では救助活動をしないことが最善である」という結果にたどり着くように思われます。
実際に、被害の拡大を防ぐ意味では、悪天候による救助活動の中止は、まさに正論です。

結果、モチベーションの低下と救助活動のリスク管理徹底により、救助活動自体がその活動範囲を狭め、今までは救助活動を行なっていた厳しい状況下での要救助者を、今後は救助に向かえなくなるという判断すらあり得るのではないでしょうか?


野外活動において、事故を起こそうとして起こすことはありません。

多くの屋外活動者、屋外活動の事業者は、事故を防止すべく、あるいは発生後にも被害を最小化すべく、出来うる限りの準備をしています。

それでも、自身が要救助者になる可能性を完全に否定することはできません。我々アウトドア活動の指導、案内を生業とするものでもそれは同じです。

結局のところ、万一の事故が発生してしまえば、最後の頼みの綱は、救助者や救助組織になってしまうのです。

ならば、その救助者や救助組織が、躊躇なく全力で救助活動にあたれるように、我々はもちろん社会全体として応援する立場を取るべきだと考えます。

どのような立場で救助者として参加しているかで多少異なるかもしれませんが、少なくとも「救助活動などのために、事故者・要救助者とリスクを同じくする状況に飛び込むもの」については、例えば、善きサマリア人の法」のような考え方を適用できるように国内法として明文化できないものでしょうか?


この裁判は控訴され、その後どのようになっているのかわからなかったので、わかっている当時の状況だけを資料としています。その後の関連情報をご存知の方がありましたら、差しさわりのない範囲で結構ですので情報をいただけるとありがたいです。